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" トラベル日本"”ウォーキングツアー "2017年 新春スタート

ぐるり一周 大和路まほろば 
うきうきハイク 
パート1【日帰り全11回】

あなたの知らなかった大和の新発見がきっとあります!
【新方式・バスツアー&現地集合ミックスプラン】


古事記・日本書記・万葉集の舞台を歩く

大和の名所を繋いでぐるり一周するコースです。
ウォーキングと、大和の美しい里山風景や日本一を誇る
歴史の深さを体感できるよくばりプランです。

このツアーこそが企画力を誇るトラベル日本の奥の深さ
・・・マニアックとミステリーが合言葉です!

【企画担当者ススメ・ツアー】
バスツアー&現地集合ミックスプラン
・ウォーキングリーダーが案内いたしますので初心者の方でも安心!
・お一人様でも、途中の回からや1回だけでも大歓迎です。

大和まほろば・うきうきハイク パート1

第01回 神武天皇即位の地 橿原【初代〜四代天皇陵】を歩く
第02回 知られざる西飛鳥【日本最大の巨大遺跡】を歩く
第03回 飛鳥から桜井【磐余の道】を歩く
第04回 額田王伝説と神武天皇が歩かれた「忍坂街道」を歩く
 
第05回 桜井から長岳寺・石上神宮【山辺の道】を歩く
第06回 石上神宮から春日大社【北・山辺の道】を歩く
第07回
平城京を歩く
第08回 世界遺産西の京を歩く
第09回 城下町・大和郡山を歩く
第10回 世界遺産斑鳩三塔を歩く
第11回 知られざる花と緑の馬見丘陵とかぐや姫伝説

【番外編】清流の赤目四十八滝を歩く

・バスツアー&現地集合ミックスプラン
・ウォーキングリーダーが案内いたしますので
ウォーキング初心者の方でも安心!
・お一人様でも、途中の回からや1回だけでも大歓迎です。

写真:第11回 大和まほろばパート1 完歩風景
2016年12月10日(土) 馬見丘陵公園にて

*2016年度も和気あいあいと楽しく歩いて頂きました。

 

 

大和まほろばツアー風景



第1回 橿原

●集合場所:岡寺駅 
●久米寺
●橿原神宮
●歴代天皇陵へ
締めくくりは今井町の散策を楽しみました!

第2回 知られざる西飛鳥ウォーク

●集合場所:橿原神宮前駅 西口(タクシー乗り場)
●宣化天皇陵
●新沢千塚古墳群

謎の巨石、益田岩船な西飛鳥しか体験できない古代ロマンが味わえます。


第3回 飛鳥から桜井(磐余の道)を歩く


●集合場所:橿原神宮前駅 西口(タクシー乗り場)
●亀石
●弥勒石
●山田寺跡
●磐余の道を歩く
●安部寺跡
●安倍文殊院
●カラト古墳
●土舞台

第4回 神武天皇が歩かれた忍坂街道を歩く

日本最古の石仏(石像浮彫の薬師三尊像) 石位寺
(重要文化財、奈良時代前期、砂岩、高さ 115Cm)

忍阪集落のには、石位寺他第34代・舒明天皇を埋葬したとされる押坂内陵(おしさかのうちのみささぎ)、
中臣鎌足の正妻だった鏡王の墓、欽明天皇の娘だったと伝えられる大伴皇女の墓があります。


第5回 南・山の辺の道を歩く

第6回 北・山の辺の道を歩く


第7回 奈良の都を歩く

第8回 西の京を歩く
西大寺
菅原天満宮
はにわ窯公園


●世界遺産 唐招提寺、薬師寺と続く道へ

 


第9回 大和郡山を歩く




大和郡山城跡(柳沢文庫)は有名ですが他にも見所が豊富にあります。
源九郎稲荷神社は源義経が吉野に落ちのびた時、白狐が側室静を送り届けた話は有名で
「白狐渡御」の行事が残ります。

周辺には木造3階建、2階建ての遊郭建築が数軒残っています。
その一軒、川本家住宅を大和郡山市が平成11年に保存活用を目的に買収したそうです。

第10回 世界遺産 斑鳩三塔を歩く


●藤ノ木古墳
●法隆寺
●法起寺
●法輪寺

第11回 知られざる馬見丘陵とかぐや姫伝説


馬見丘陵は、奈良県香芝市・広陵町・河合町
など2市3町に跨る
標高70m程度の東西約3km、
南北約7kmに及ぶ低い丘陵地です。
ここは馬見古墳群のエリアと一致し、
古墳の集積地となっています。
自然や古墳群を保全するため、
昭和59年8月に都市公園(広域公園)
として公園事業が開始し約53haが開園しています。

近鉄池部駅から、馬見丘陵公園まで続くなごみの道。
実は道そのものが既に公園の中で緑道エリアとされています。
広大な公園の中の北エリアには珍しいドームテントが
あり雨が降っても弁当場所にも困りません。
また、公園のエリアとエリアをつなぐ所には陸橋がいくつもあります。
この公園の広さを語っています。
また、
北エリアと南エリアを結ぶ境界は、なんとトンネルになっています
。ユニークですよね。

 

南エリアは、馬見丘陵の歴史について知ることが出来る公園館があります。花も一杯咲き誇っています。
いくつもの古墳がこの公園の中に点在してます。馬見丘陵公園から竹取公園にも橋で渡ることが出来ます。
竹取公園に隣接するのが"かぐや姫"伝説で有名な讃岐神社です。
 

 

 

広陵町のその他名所

百済寺
舒明(じょめい)天皇が639年に聖徳太子が
建てた熊凝(くまごり)精舎を、
百済川のほとりに移建したのがはじめといわれます。
塔は鎌倉時代源頼朝が再建させたといわれ、
池は弘法大師が掘ったといわれています。
本尊は十一面観音、三重塔は国の重要文化財
に指定されています。

与楽寺(ようらくじ) 
境内の南には弘法大師が掘られたと
伝えられる梵字池、修行石が残り、
本堂に弘法大師像がまつられています。
また、中国唐代に制作されたと推測される
一尺程の檀造十一面観音立像が発見されました。
類例のない十一面化仏の配置と緻密な彫刻は、
法隆寺の国宝九面観音立像に
並ぶ逸品であると言われています。

 

番外編 紅葉の多武峰ハイク
古代ロマンの石舞台古墳

賣太神社と環濠集落(大和郡山市)
賣太神社は平城京の正面にあたる羅生門の近くの交通要地にあります。
祭神として稗田阿礼を祭っており「語り部の里」として有名です。

古事記・日本書記の世界 大和路を奥深く訪ね歩きましょう。
お隠れスポットをツアーを次々取り入れるトラベル日本ならではの企画

謎とロマンに満ちた”日本古代史の旅“の誘い

『古事記』『日本書紀』・・・現在の日本の原形を作った
”天智・天武・持統天皇の時代“ を軸に置いて旅する面白さ


邪馬台国とは? 卑弥呼とは? そもそも日本人とは?
何一つ明確な答えが出ない謎だらけの日本古代史です。
ですが正解がないからこそ、自身の想像を働かせることが
出来面白いともいえます。


近鉄飛鳥駅から東へ20分ほど歩くと
---檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)
・・・天武天皇と皇后の持統天皇の夫婦合葬陵があります。
この陵は古代の天皇陵として特定される珍しい存在。

当初は・・・持統天皇の遺骨は夫の棺に寄り添うように
銀の骨つぼに収められていたそうです・・・。

この御陵がある明日香村一帯が壬申の乱に勝利した
天武・持統両天皇が約30年に渡って政務を取った場所です。

檜隈大内陵からほぼ直線で北上すると後に
日本初の本格的な唐風都城となった藤原京跡があります。

持統天皇の在位中の694年都を
「飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)」から
「藤原京」に移しました。

この藤原京以降、日本の首都は皇居を意味する『宮』から
皇居を含めた国の都を意味する『京』を指すようになります。

当時の都は都市機能はなく、代々の天皇がそれぞれ
「宮(みや・天皇の住まい)」を建てました。
つまり、宮は天皇によって変更されます。

その宮に官僚達や豪族達が出廷して
政務を行っていくというというもの。
「宮」のある付近が都という意味です。

持統天皇の夫:天武天皇は在位中
「唐のように永続的に使用できる立派な都づくり」
を構想したといわれます。

万葉集によく詠まれた大和三山(香具山・畝傍山・耳成山)が
昔と変わらず今も藤原京跡を囲むようにそびえています。


明日香村の一番有名な存在である石舞台古墳は
蘇我馬子の墓であるとの説があるのは
蘇我氏の本拠地がこの地にあったからです。


二大勢力の一つ物部氏と蘇我氏が仏教の布教について争いました。
587年、衣摺の戦い(東大阪市)において聖徳太子と組んだ
蘇我馬子が物部守屋を滅ぼしました。

聖徳太子亡き後は、次第に蘇我氏の権力が強くなり
天皇家を凌駕する様になります。



645年中大兄皇子(後の天智天皇)と藤原氏の始祖となる
中臣鎌足らと謀り実母である皇極天皇の御前で
蘇我入鹿を殺害(乙巳の変)し
強力な蘇我氏の勢力を剥ぎ取りました。

中大兄皇子が実権を握ると改革(大化の改新)を推進。
天皇家中心の政治を行います。

一方、外交では友好国”百済“の支援の為、
唐・新羅と戦います(663年白村江の戦い)。
結果、大敗し唐・新羅軍の襲来に備える為、
大和の地から近江の大津宮に遷都したと言われます。

671年、天智天皇が崩御すると長男の大友皇子が
後継者に指名されます。

事前、天智天皇が重態となった時、
実弟の大海人皇子(後の天武天皇)に
後事を託す事を相談しましたが、大海人は辞退。

倭姫皇后が即位し大友皇子が執政するよう話し
自身は剃髪して僧侶となり吉野・宮滝に隠棲していました。
これは時機をうかがうパフォーマンスだったのでしょう。

翌年(672年)妻子を連れ宮滝から
飛び立つように決起し反旗を翻しました。
これが壬申の乱と呼ばれる古代史最大の内乱です。

天智天皇と天武天皇は両親(父・舒明天皇、母・皇極:斉明天皇)
ともに同じだといわれています。

東国(美濃・尾張)から数万の軍勢で大津宮を
わずか1ヶ月で近江朝を倒しました。
大海人皇子は美濃にしばらく身を置いた後
飛鳥に戻り天武天皇として即位。

天武天皇は皇族中心の政治を推進する中
官位や法律を整備し神道と仏教の振興も推進。
日本の統治機構や歴史・文化の原型を創造したされています。

そもそも日本を国号とした最初の天皇という説もあります。
この天皇という称号さえも 天武天皇が初めて使い始めたとも。

天武天皇の功績の中で、後の日本史に最大の足跡を残したのは
『古事記』『日本書紀』の編纂を発意したことではないでしょうか。

『古事記』が先に書かれ始め
完成する前に『日本書紀』も編集され始めました。

『古事記』が完成したのが712年(43代元明天皇の時代)。
『日本書紀』その8年後の712年には完成しました(44代元正天皇の時代)。

ではなぜ、同時期に二つの似たような内容の歴史書の編纂が始まり
その違いは何か?

神話記述は微妙な表現などの違いがありますが大筋同じです。
但し、『古事記』は33代推古天皇まで記述。
『日本書紀』は41代の持統天皇までを扱っています。

一般的には、『古事記』は、天皇の国土の支配や
皇位継承の正当性を国内に示す目的で創られ
『日本書紀』は、唐・新羅など諸外国に対し通用する
正史を作る目的であったとされています。
つまり、『古事記』は国内向けであり、
『日本書紀』は外国向けだという事ですね。


こられが編纂されたのは以前に存在した
歴史書が焼失してしまったと説もありますが
本当の所はよく分かりません。

権力者は過去も自身の都合の良い様にしたいのが世の常。
天武天皇が皇族中心の安定政権を仕上げとして
王朝の正統性を誇示できる書物が必要だったのでしょうか。

そういう観点で考えると、現在の日本歴史の古代部分は
天武天皇の構想した論旨で形成されているといえます。
天武天皇から日本史が始まったと言っても過言ではないでしょう。

なぜなら、現代の我々は『古事記』『日本書紀』以外の
日本の古い書物を目にすることが出来ないからです。


さて、持統天皇のお話しです。
天智天皇の娘・鵜野讃良皇女(うののさららひめみこ)として生まれ
父の実弟(叔父)にあたる天武天皇と結婚します。

天武天皇の即位後は皇后となり常に天皇を助け
そばにいて政事について助言したとされています。

ちなみに天智天皇は実弟である、天武天皇に讃良皇女を含めて
自分の娘を合計四人も嫁がせています。

なぜそこまでして天武天皇を懐柔する必要があったのか。
恐らく、潜在的に天武天皇の実力を一番わかっていたからだと思います。


686年天武天皇崩御。実子・草壁皇子も病没したため自らが即位。
孫の軽皇子(文武天皇)へ譲位後も上皇として政務を取り
夫が手がけた律令制定事業に力を注いだとされています。

天武天皇の治世は14年間、持統天皇が亡くなる(702年)までの
約30年間を天武・持統朝などの言葉で一括されるほどです。

持統天皇大きな功績として体系的な律令法と
言われる飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)の制定や
条坊制を布いた本格的な唐風都城『藤原京』の造営に着手しました。
(構想は天武天皇といわれています。)

いずれにしても、この二つの事業は日本史上初めてのものです。

また、持統天皇は万葉歌人としても名を連ね
素晴らしい歌を数首残しています。

行動的で知られ飛鳥から南へ一山(芋峠)越えた
吉野の宮滝に31回も通ったといわれています。
晩年には壬申の乱の際に味方ついた豪族の労を
ねぎらうため東国(東海地方)までの長旅に出ました。

702年病を発し崩御。その際に天皇で初めて
火葬されたといわれています。

持統天皇の遺骨は檜隈大内陵に葬られ
夫の棺に寄り添うように銀の骨つぼに収められていたそうです。

この御陵は1235年(文暦2年)に盗掘に遭った際に
持統天皇の銀の骨つぼは持ちされて話が
藤原定家の『明月記』に記されているそうです。

崩御の500年後に夫・天武天皇と引き離された
・・・なんとも物悲しい気がします。

この文章を含めて何一つ明確な確証がない謎だらけの日本古代史。
ですが自分流の感性で日本古代史の旅にでかけましょう。
古代史は十人十色、お好みの想像で良いではありませんか。

■文 ツアープロディーサーMK

あなたの知らなかった大和の新発見がきっとあります!ウォーキングツアー専門店ならではの企画力が違います!

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