"歴史の旅” 南海国際旅行
しか創れないテーマのある究極の旅
古代史紀行 終了リポート
【国内ツアー】
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壱岐 原の辻遺跡 【邪馬台国系・一支国】
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ツアー実施
ミニ・リポート
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“南海国際旅行”しか創れない旅がございます!
北は北海道、南は沖縄まで日本の各地の
古代遺跡と神話の舞台を訪ね歩く。
他の追従を許さない知的好奇心を刺激する
本物志向の大人旅です。
それでは 近年、実施された古代史紀行
シリーズツアーを 簡単にご紹介致します。
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北海道 |
■古代史紀行 北海道
約1300年前、突然消えた北方の民「オホーツク人」の謎を訪ねて
涼風のオホーツク海「モロヨ貝塚」と
日本100名城・根室半島チャシ跡と釧路湿原 4日間 2019年 ★
8月27日(火)発
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古代史紀行 道南縄文遺跡とフゴッペ洞窟
(2021.8月) 風景
北のまほろば 北海道パートA 2021年 8月24日(火)〜27日(金)
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北海道唯一の国宝- 中空土偶
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2021年7月・世界遺産・認定 垣ノ島遺跡
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2021年7月・世界遺産・認定
大船遺跡
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函館 五稜郭 |

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2021年7月・世界遺産・認定
高砂貝塚
入江貝塚 |
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ウポポイ |
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フゴッペ洞窟-余市 |
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忍路(忍路)環状列石-小樽市 |
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小樽運河 |
札幌市内ー路面電車 |
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北海道神宮 |
開拓神社 |
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札幌芸術の森 |
千歳川(この日、既に鮭が遡上) |
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2021年7月・世界遺産・認定
キウス周提墓群 |
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東北 |
古代史紀行 青森 (2018.5月)
風景
■5000千年の時を超えた縄文時代「三内丸山遺跡」・
日本三大霊場の「恐山」・本州最北端みちのく旅情
北のまほろば 津軽・下北半島3日間
★2018年5月16日(水)発
■5000年の時を越えた「三内丸山遺跡」と絶景めぐり
千本鳥居の神社 ・ 日本一の木造三連太鼓橋
北のまほろば 縄文遺跡と絶景めぐり2019年 5月22日(水)〜24日(木)
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青森県立美術館
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青森港 |
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下北半島 大間崎
本州最北端のマグロ漁港の町
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仏ヶ浦 クルーズ 90分 |
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太宰治ミュージアム 斜陽館と太宰の昼めし |
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亀ヶ岡遺跡(2021年7月・世界遺産・認定)-縄文館
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つがる市縄文住居展示資料室(カルコ) |
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日本が世界に誇るものの一つ土偶・ミニコラム
日本が世界に誇るものの一つに土偶があります。
国宝にも五体が指定されていますし芸術的であると言った観点から海外の方にも人気急上昇。
土偶とは土で作った縄文時代の人形のことで一番古いものは約1万年前に造れたと言われています。
土偶に似たような陶器で作った人形は世界各地でも発見はされていますが、
縄文土偶の方が遥かに古く日本列島独特のものと考えられます。
よく似たもので「埴輪」がありますがこちらは3世紀半ば過ぎからの古墳時代に造れたもので
墳墓に副葬するものと言われています。こちらの方は西安の兵馬俑などの
文化に影響を受けているのかも知れません。
土偶の形状は出土した場所や時代によっても違いますし、大きさも45cmの高さのものから手のひらサイズ。
五体揃っているもの、両手がないもの、合掌やストレッチ体操の様なポーズを取っているもの、
愛くるしい表情をした顔、表現をしようのない複雑怪奇な顔など本当に様々です。
さて、土偶は何の目的で作られたのか? 乳房や臀部などの女性的な身体特徴を強調した造形が
多い事から生殖や豊穣を祈願するものであった。一部が故意に破壊されたと見られる状態で
出土することが多いため呪術的・宗教的意味を持つ。あるいは単なる玩具であったなど様々な見方があります。
文字を持たなかったこの時代、実の所全くよく分かっていません。
この謎は邪馬台国の所在地どころではなく騒ぎではなくタイムマシーンでも発明されないと
永遠に事実は分からないのではないでしょうか。
ではどうやって今、我々は土偶に立ち向かうのか。専門家であろうと素人である土偶の真実は分かりません。
それならば見目に感じる太古に息づくイマジネーションを楽しむ。それだけで良いのではないでしょうか。
南海国際旅行ツアープランナー 加地 光広
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関東・甲信越 |
■足利氏館・鉢形城・忍城八王子城・川越城
関東名城めぐりと
ワカタケルの鉄剣 さきたま古墳群と高麗神社” 3日間
2019年6月27日(木)〜29日(土) |
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■古代史紀行 甲斐スペシャル
日本遺産 星降る中部高地の縄文世界 【山梨県編】 絶景“令和元年初めての”冠雪・富士山と
“超かわいい土偶付土器”愛に恋い・縄文王国山梨3日間
★2019年12月11日(水)〜13日(金) |
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■古代史紀行 信州スペシャルパート@ 諏訪大社4社めぐりと尖石遺跡
★2019年7月 |
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■古代史紀行 信州スペシャルパートA 戸隠5社めぐりと森将軍塚古墳
★2021年7月 |
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東海・北陸 |
古代史紀行 東海 (2018.2月)
風景
■ヤマトタケル東征の舞台を訪ねて
世界遺産 富士山本宮浅間大社・日本平・登呂遺跡の旅2日間
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登呂遺跡
弥生時代後期の農耕文化を伝える特別史跡に指定された遺跡。
住居と高床式倉庫が復元され、水田跡や森林跡も発掘されている。
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草薙神社(くさなぎじんじゃ)
『草薙剣伝説』が残る地に建立された神社です。
第12代・景行天皇の皇子 ヤマトタケルは蝦夷征伐のため東国へと赴きました。
その途上、相模にて国造(くにのみやっこ・首長)の反乱にあい、
ヤマトタケル がいた野原は炎に包まれてしまいます。
ヤマトタケルは手にした「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」で
周囲の草を薙ぎ払い、 窮地を脱したとの伝承からこの剣は
後に「草薙の剣(くさなぎのけん)」と呼ばれる様になりました。
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焼津神社
創建は反正天皇4年(西暦409年)と伝えられており、今から1,600年以上も前になります。
ヤマトタケル の知恵と勇気と優しさを称え、焼津の守神としてお祀り(おまつり)を
したことが焼津神社のはじまりです。
神社を含む一帯では、宮之腰遺跡という1,600年程昔の遺跡が出土しており
古代祭祀の道具や人々が
生活していた跡が発見されていることから、その時代からこの場所
に神社があったことがわかります。
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ひかみあねごじんじゃ
氷上姉子神社
熱田神宮創祀にゆかりの深い古社
ヤマトタケルのお妃・宮簀媛命(みやすひめのみこと)をお祀りしております。
ヤマトタケル なきあと、この地で祀っていた草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を遷して
創祀したのが熱田神宮の始まりとされます。
仲哀天皇の時代に創祀され、持統天皇四年(690)、現在地に遷座致しました。
故地は宮簀媛命の父神の館があった地とされます。この地は往古、火上の里とよばれていました。
永徳3年(1382)、社殿が火災にあったため火の字を避けて「氷上」と改め
火高は「大高」に改めたとされております。
ヤマトタケル
なきあと火上の里にとどめおかれた草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)は、
尾張氏の祭祀場所であった熱田に遷しお祀りされました。
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■北陸・能登半島 3日間
壮観なぞの環状木柱列-真脇遺跡と貴重な寺社めぐり
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■
古代史紀行 伊勢国 |
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近畿
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★近江 |
■天空の宮「太郎坊宮」・ 百済王族の「鬼室神社」・
日本最古・最大三重石塔「石塔寺」
■壬申の乱の部隊 蒲生野
■古代史最大の英雄ヤマトタケルの白鳥伝説を訪ねて
涼風の伊吹山・醒井の梅花藻散策と加佐登神社・白鳥塚古墳
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★大和 |
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★河内・和泉 |
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池上・曽根遺跡 |
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■百済寺跡・禁野本町遺跡と王仁公園 |
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★紀伊 |
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★播磨 |
■神武武東征の航路 家島諸島 |
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吉備 |
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出雲 |
古代史紀行 出雲パート1 (2017.7月)
風景
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国史跡 妻木晩田遺跡(むきばんだいせき) - 大山町
日本最大級の弥生集落遺跡
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上淀廃寺跡は、飛鳥時代(7世紀終り頃)に建てられた寺院の跡です。平成3年(1991年)からの
発掘調査で国内最古級仏教壁画片が大量に出土し、飛鳥時代の堂塔内部を復元しうる数少ない
寺院跡として、平成8年(1996年)に国の史跡に指定されました。 |
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美保神社(みほじんじゃ)は、島根県松江市。
事代主神系えびす社3千余社の総本社。
右殿に大国主神の子の事代主神、左殿に
大国主神の后の三穂津姫命を祀る。 |
美保関灯台
島根半島東端。明治31年(1898年)11月8日に
初点灯された山陰最古の灯台。灯台の高さは14m、
水面からの高さは83mとなっており景観の眺望は
雄大で素晴らしい灯台です。 |
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日御碕灯台
島根半島、最西端の断崖にそびえる『出雲日御碕灯台』
明治36年(1903)に設置され、高さは43.65mと
日本一の高さを誇ります。 |
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島根県立古代出雲歴史博物館
『神話のふるさと』と言われる出雲地方。
考古学的遺跡の発見が少なく出雲神話は
作り話という見方が主流でした。
そうしたなか1984年、358本の銅剣が発見されました。
つづいて銅鐸と銅矛の発見、1996年には39個の銅鐸。
そして2000年、出雲大社境内から13世紀半ば
の出雲大社本殿を支えたと考えられる
巨大な三本柱が発見されました。
国宝となった荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡の青銅器
や200本以上の銅剣の復元模型は圧巻です。
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西谷墳墓群史跡公園
墳丘を持つ墓だけでも27基が密集し,特に弥生時代後期〜終末期に造られた6基の四隅突出型墳丘墓
(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)
は,出雲の権力者たちの墓として全国的に有名です。 |
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荒神谷遺跡
出雲市斐川町神庭西谷・・・ このあたりの広域農道の建設にともなう遺跡分布調査を行ったところ、調査員の一人が田んぼの畦で古墳時代の須恵器の破片を拾いました。
そして発掘調査が始まった1984年に銅剣358本、
翌年の1985年にはそこから7mほど離れた地点で銅鐸6個、銅矛16本という大量の青銅器が出土し、これらは全て1998年に「島根県荒神谷遺跡出土品」として
国宝に指定されました。
それまでの銅剣の出土総数は全国において約300本、
それを一ヶ所で上回った荒神谷遺跡は当時の
日本古代史学・考古学界を大きく揺るがす大発見でした。 |
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史跡加茂岩倉遺跡(かもいわくらいせき)
島根県雲南市加茂町岩倉にある、弥生時代の青銅器埋納遺跡です。
1996(平成8)年10月14日、農道の工事中に大量の銅鐸が出土したことにより発見されました。
その後の発掘調査によって、銅鐸の総数は39個となり、1ヵ所からの出土としては全国最多となりました。
加茂岩倉遺跡は1999年1月14日に国の史跡として指定され、出土した銅鐸は1999年6月7日に重要文化財、
らに2008年7月10日には国宝に指定されています。
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須我神社(すがじんじゃ)
古事記によると、肥河上(現斐伊川)でヤマタノオロチを退治したスサノヲノミコトは、自分の住居となる宮を求めてこの出雲国須賀にやってきました。その際
「吾此地に来まして、我がすがすがしい」
と言い、この地は須我といわれるようになりました。
そして宮殿が出来上がった時に
美しい雲が立ち上がるのを見て
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣つくる その八重垣を(やくもたつ いずも やえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを)」と御歌を詠みました。
三十一文字和歌発祥の地、さらにはこの御歌の出雲が出雲の国名の起源でもあります。
古事記、日本書紀に書かれる日本初之宮がここ、
須我神社です。 ここには、スサノヲノミコトとその妻
クシナダヒメが祀られています。
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八重垣神社
神社壁画としては日本最古 美しい稲田姫命、猛々しい素盞鳴尊の御姿。
「鏡の池」-大蛇から避難していた稲田姫命が日々の飲み水とし、また姿を写す鏡としていたという言い伝えがあり、
「姿見の池」ともいわれています。
コチラでは、占い用和紙に硬貨を載せて池に浮かべる良縁占いができます。
和紙の沈む速さで良縁の訪れが早いか遅いかが分かり、また和紙が近いで沈めば身近な人と
遠くなら遠方の人と結ばれるとされています。和紙の行方にドキドキしちゃう人気の恋占いです。 |
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神魂神社(かもすじんじゃ)
伊弉冉尊(いざなみのみこと)を主祭神とする古社で、
通称「大庭(おおば)の大宮さん」。本殿は国宝に指定されており現存する
大社造りの社殿の内最も古いと言われ、意宇六社の一つに数えられる格式の高い神社です。 |
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八雲立つ風土記の丘
松江市南郊の大庭地区・竹矢地区一帯は、島根県を代表する文化財(史跡や社寺等)が集中しており、
古代出雲の中心地です。風土記の丘地内は、島根県最大の山代二子塚古墳(前方後方墳)をはじめとする
主要な古墳が分布し、奈良時代には出雲国庁・出雲国分寺跡が置かれました。
島根県はこの文化財の宝庫といえる東西5q、南北4qの範囲を「八雲立つ風土記の丘」と称し
点在する史跡群をフィールド・ミュージアムとして総合的に保存・活用しています。
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出雲国庁・出雲国分寺跡ウォーク |
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古代史紀行 出雲パート2 (2018.7月)
風景
■世界遺産 石見銀山と日本遺産 出雲国たたら風土記 3日間
山陰スペシャル パート2
古事記の舞台「出雲」と知られざる絶景を訪ねる3日間 ★7月18日(水)発
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比婆山久米神社
比婆山は「古事記」に記された国生みの神、伊邪那美命(イザナミノミコト)の御陵だと伝えられています。
標高320mの山頂付近には、これを祭神とする久米神社奥の宮があり
麓には久米神社下の宮があります。古くより各地の豪族の崇拝が厚く
その後尼子氏や母里藩の祈願所として栄えました。 |
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揖夜神社
揖屋町(いやまち)地内にある揖夜神社は、出雲国風土記や日本書紀にも登場します。
主祀神はイザナミノミコト。黄泉比良坂伝説地の近くにあることから
黄泉の国に縁の深い古社とされています。
本殿は大社造りで、五色の八雲、極彩色の神事の障壁画が扉に描かれています。
黄泉比良坂
黄泉(よみ)の国(あの世)と現世の境界とされ
古代出雲神話の中で、イザナギ(伊邪那岐)命が先立たれた妻
イザナミ(伊邪那美)命を慕って黄泉の国を訪ねて行かれるその入口が
黄泉比良坂(よもつひらさか)であると伝えられて
石碑には「神蹟黄泉比良坂伊賦夜伝説地」と刻まれています。 |
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石見銀山
2007年7月2日、島根県大田市の石見銀山遺跡が世界遺産に登録されました。
銀を精錬するためには、大量の薪炭用木材が必要とされます。石見銀山の特徴は
周辺の環境に配慮した「自然環境と共存した産業遺跡」です。
龍源寺間歩入口
「間歩」とは銀を採掘した坑道のことをいいます。
「龍源寺間歩」は1715年に開発された坑道で、大久保間歩に次いで長く600mもあります。
正徳5年の開発で、永久、大久保、新切、新横相間歩とともに代官所の直営で「五か山」と呼ばれていました。
内部はノミで掘った跡がそのままの状態で残っており、当時の作業の様子を知ることができます。 |
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須佐神社
島根県中部を南北に流れる神戸川の支流、須佐川のほとりに鎮座します。
この地は日本神話に登場する神であり、ヤマタノオロチを退治した英雄である須佐之男命(すさのおのみこと)に関わりが深く、『出雲国風土記』の須佐郷の条には、須佐之男命が当地に来て最後の開拓をし、「この国は小さい国だがよい国だ。自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたと記されています。
全国には須佐之男命ゆかりの神社が数多くありますが、ここは唯一須佐之男命の御魂を祀る神社で、祭神はほかに稲田比売命(いなたひめのみこと)、足摩槌命(あしなづちのみこと)、手摩槌命(てなづちのみこと)とヤマタノオロチ退治に登場する四神が祀られています。
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たたらの里
菅谷たたら山内の中心にある「菅谷高殿」は、全国で唯一現存する高殿様式で
「国の重要民俗文化財」に指定されています。 |

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佐太神社
出雲國二ノ宮として特筆すべき由緒・歴史を持ち
古伝の祭祀を受け伝える御社。八百万の神々が集う神在の社(かみありのやしろ)
として多くの方に崇敬されています。 |
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加賀の潜戸・新潜戸(かかのくけど・しんくけど)
「潜戸」とは「洞窟」のこと。「潜戸鼻」と呼ばれる岬の先端には、海食作用によってできたミステリアスな洞窟が2つあるのです。加賀港からは、この洞窟内を通り抜けるコースで運航される潜戸観光遊覧船が出ており、船長さんの名ガイドに耳を傾けながら探検隊気分で洞窟を見学することができます。
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水木しげるロード |
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古代史紀行 出雲パート3
(2020.10月) 風景
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九州 |
古代史紀行 魏志倭人伝 北九州パート1
風景
(2016.6月・2017年10月・2019年10月 3回実施)
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志賀島
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宗像大社
天照大神の三柱の御子神を祭る。
三女神
田心姫神(たごりひめのかみ)
湍津姫神(たぎつひめのかみ)、
市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)
田心姫神は 沖津宮(おきつぐう)
湍津姫神は 中津宮(なかつぐう)
市杵島姫神は 辺津宮 (へつぐう)
におまつりされており
この三宮を総称して「宗像大社」 |
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博多市内の散策
希望者のお客様と ホテル到着後の
自由行動時。 |
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吉野ヶ里遺跡 |
水城 |
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おおのじょう【大野城】
福岡県太宰府市の近郊、四王寺山にある古代の朝鮮式山城。7世紀代における朝鮮半島の軍事的緊張のなかで
660年の百済滅亡と,それに続く663年の白村江における日本援軍の敗戦を背景として築造された。
《日本書紀》によると天智天皇4年(665)の条に〈憶礼福留と四比福夫を筑紫国に遣わして大野城と椽(き)城
(基肄(きい)城)を築いた〉とあり,水城(みずき)とともに大宰府の防衛網を形成した。
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沖ノ島祭祀遺跡と
竹幕洞遺跡を考える
■沖ノ島祭祀遺跡とは?
福岡県宗像市に所属する沖ノ島は九州北部の沿岸から60キロメートル沖合いに
ある周囲約4キロメートル無人島で、宗像大社沖津宮(おきつみや)を祀っています。
縄文・弥生の生活遺跡、古墳時代、奈良〜平安時代の祭祀遺跡があります。
祭祀遺跡は、島の中腹部にある沖津宮社殿の背後の巨岩群の岩上や岩陰にあり、原始宗教と律令
祭祀の両形態の祭祀を知る事が出来る日本の神道考古学の代表的な遺跡です。
岩上祭祀、岩陰祭祀、岩陰・露天祭祀、露天祭祀という4段階の祭祀形態の変換が特質。
奉献遺物も初期の祭祀では鏡、勾玉、鉄剣など古墳遺物と同じものを奉献していましたが、
奈良時代の祭祀では金銅製のミニチュアの容器や紡織具など律令的な奉献品が主体となります。
この沖ノ島の祭祀遺物で特徴的なものは朝鮮製の金銅製馬具類や、中国製の唐三彩、ササン朝ペルシア
の切子ガラス碗など舶載遺物があることで、国家的な祭祀が行われたと考えられています。
出土品は約10万点余あり、すべて国宝に指定され、宗像大社神宝館(宗像市)に展示されています。
沖ノ島祭祀遺跡はこの4段階の祭祀変換が珍しい!
1.岩上祭祀(がんじょうさいし)- 4世紀後半から5世紀(古墳時代前期から中期)
岩の上の祭祀。大きな磐座は神が降臨し、神が宿ると考えられ、岩の上に小石を敷いて奉献品を置き、祈りました。
奉献品は勾玉、舶載鏡、国産鏡、石釧(いしくしろ)、武器、工具などで、古墳時代前期から
中期の古墳の副葬品と似ています(三種の神器(鏡・鉄・玉)−日本神話との共通点)。
祭祀者は東方に向かって礼拝していたようですから太陽信仰だと考えられます。
2.岩陰祭祀(いわかげさいし)-5世紀後半から7世紀(古墳時代中期から飛鳥時代)
祭祀は岩陰で行われ、岩陰になっている土の上に奉献品を並べました。
奉献品は銅鏡、装身具、武器、武具、工具、須恵器・土師器などで、古墳時代中期から後期の古墳の副葬品と似ています。
中には、新羅製の金の指輪、馬具、鉄斧、ペルシャ製のカットグラスなど交易で得た品もあります。
奉献品が豪華になってきました。
3.半岩陰・半露天祭祀(はんいわかげ・はんろてんさいし)-7世紀後半から8世紀前半(飛鳥時代から奈良時代)
祭祀場が岩陰とその前の露天にまで広がっていきます。奉献品は玉類、武器、工具、土器、金属性雛形祭祀品などで、
岩陰とその前の露天に置かれました。舶載品は新羅系から中国系に変わります。
660年百済の滅亡と関係があると考えられます。
古墳時代が終わったので、奉献品は宮廷祭祀の祭祀品・神宝などと共通してきます。
4.露天祭祀(ろてんさいし)-8世紀から10世紀初期(奈良時代中期から平安時代初期)
これまでの祭祀はその都度場所を変えていましたが、ここからは同じ露天の場所に大型の祭壇を設けました。
奉献品は国産品で、土器、人形、馬形、舟形、銭、八稜鏡などがあります。
遣唐使は菅原道真の進言で894年に廃止され国家の祭祀は終焉。
胸形氏(宗像氏、宗形氏)の祭祀に替わります。 宗像氏の墓域は桜京古墳(宗像市、装飾のある前方後円墳)、
東郷高塚古墳(宗像市、前方後円墳)、津屋崎古墳群(福津市)だと考えられています。
■竹幕洞遺跡とは?
(ちくまくどうさいしいせき/チュンマクトンジェサユジョク)
三国時代(百済)から統一新羅時代・高麗時代・李氏朝鮮時代にわたる海岸祭祀の遺跡。
5世紀中頃から6世紀前半に最盛期を迎えたと考えられ、中国南朝・百済・加耶・倭国間で展開された
国際交流を象徴する遺跡と言えます。
発掘調査では、絶壁上の平坦面に露天祭祀の跡が見つかり、そこで航海の安全祈願の祭祀が行われたと考えられます。
多くの遺物が出土していますが9割は土器。他には金属器・石製模造品・土製模造品・玉製品・陶磁器などが見つかっています。
時代別では壺・甕・高坏などの土器のみを用いた馬韓・百済系祭祀が3世紀後半頃に始まり、
これが4世紀中頃から5世紀前半にかけて本格的になったとされています。
5世紀中頃からは、鏡形・剣形などの多様な倭製の石製模造品も使用され始めました。
6世紀前半までの間に百済・倭・加耶系祭祀が最盛期を迎え、この時代の多量の土器(一部に加耶系土器)が出土。
合わせて、中国南朝の青磁器や豪華な馬具も出土。
水聖堂付近において百済時代の祭場が見つかり、その広さは20×15平方メートル程度と推定。
8世紀になると、祭祀建物が建てられ屋内祭祀に移行したと推定されます。
水聖堂(水城堂)は、屋内祭祀の名残とも。
この地が選ばれた理由とは?
●遼東半島を経由して中国へ行く航路の途中。
●倭国勢力と百済勢力の境界地点。
●海岸にある海蝕洞に対する信仰。
●航海困難地域。
●当地が船泊りの適地であった。
百済は、高句麗の南下政策によって首都を漢山城(現・ソウル特別市)から475年に
熊津(現・公州市)、538年に泗?(現・扶餘郡)に移します。
竹幕洞祭祀遺跡の最盛期の年代は熊津の時期に概ね相当。
武寧王陵(武寧王:523年死去)における倭産高野槙棺材の使用や、
栄山江流域における【倭国系・前方後円墳】10数基の築造も見られ
竹幕洞遺跡との関連も指摘されます。
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古代史紀行 魏志倭人伝 北九州パート2
風景
(2017.2月・2018年2月・2020年2月・ 3回実施)
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平原遺跡と卑弥呼さん
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神功皇后ゆかりの地を訪ね歩きました。 |
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古代史紀行 魏志倭人伝 北九州パートD
風景
(2019.1月実施)
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日本100名城 佐賀城・名護屋城・装飾壁画
五郎山古墳・ヒャーガンサン古墳
絶景の唐津・末盧国(まつろこく) 2日間
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ヒャーガンサン古墳・壁画
(福岡県鳥栖市) |
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佐賀城 |
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久里双水古墳
(佐賀県唐津市) |
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名護屋城
(佐賀県唐津市) |
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末盧館((佐賀県唐津市)
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鏡神社-神功皇后ゆかり
(佐賀県唐津市)
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古代史紀行 魏志倭人伝 北九州パートE風景
(2019.4月実施)
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西都原古墳群・西都原考古博物館
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江田神社 禊の池
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鵜戸神宮 |
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飫肥城 |
小村寿太郎記念館 |
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綾 大吊橋 |
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天岩戸神社・天安河原 |
高天原遥拝所 |
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高千穂峡 |
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熊本県山都町(やまとちょう)。阿蘇の山系にも近い、九州のおへそにあたる
場所に幣立(へいたて)神宮があります。
社伝では、神武天皇の孫である健磐竜命(たけいわたつのみこと)が高千穂から阿蘇へ向かう途中
この地に 幣帛(へいはく)を立てたのが始まりで日本最古の神社とあります。
幣帛(へいはく) ・・・神に奉献する供物の総称で,布帛,衣服,紙,玉,酒など。
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池田湖から見る開聞岳 |
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鹿児島神宮 |
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長崎鼻と竜宮神社 |
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本州最南端の駅 西大山駅 |
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話題の絶景スポット
射楯兵主神社(釜蓋神社)
岩礁が突き出た所に鎮座し御祭神はスサノオノミコト。
スポーツ選手や芸能人も多く訪れる話題のパワースポット。
釜の蓋を頭にのせ、鳥居から拝殿まで落とさずに行くことができれば願いが叶う!
開聞岳を望む絶景ポイント「希望の岬」は新しいパワーを感じる釜の蓋の形のベンチ

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対馬 |
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●万関橋
対馬島を上下に分ける境界、万関瀬戸に架かる橋。
浅茅湾と三浦湾の間に開削された万関瀬戸と呼ばれる運河に架かる橋が万関橋です。
この橋は平成8年に架け替えられ、3代目にあたります。明治後期、
南下政策をとるロシアとの戦争の機運が高まり、
日本海軍は水雷艇を対馬海峡東水道に出撃させるため、
明治34年(1901年)、久須保水道(万関瀬戸)を開削しました。
この万関橋は、その開削された瀬戸に架かり、対馬の上下島を結んでいます。
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●和多都美神社
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を祭る海宮で、
古くから竜宮伝説が残されています。本殿正面の5つの鳥居のうち2つは、海中にそびえ、
潮の干満により、その様相を変え、遠く神話の時代を偲ばせる神秘的な雰囲気を漂わせています。
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壱岐 |
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長崎県内では450基を超える古墳が確認されていますが、6割にあたる260基の古墳が壱岐に存在します。鬼の窟と称する6世紀末から7世紀初めに築造された古墳とその周辺を探索しました。
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壱岐住吉神社の南海・貸し切り神楽 |
月読神社 |
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国指定特別史跡 原の辻遺跡
原の辻遺跡(はるのつじいせき)は弥生時代の環濠集落で、『魏志』倭人伝に記された「一支国(いきこく)」の王都に特定された遺跡です。この原の辻遺跡は“遺跡の国宝”にあたる国の特別史跡に指定されています。日本で弥生時代の遺跡として特別史跡に指定されているのは、この他、登呂遺跡(静岡県)、吉野ヶ里遺跡(佐賀県)の2箇所だけです。
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ご紹介したのはほんの一部です。
内容が充実した中身の濃い旅でした。
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■神秘のパワースポット巡りウォーク
日本100名城・続日本100名城総めぐり
世界遺産 琉球王国グスク・神々の島
「久高島」“ガンガラーの谷“4日間
(2019.2月) 風景
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ガンガラーの谷
数十万年前までは鍾乳洞だった場所が崩れてできた
手つかずの自然が残る亜熱帯の森。約1万8000年前に生きていた
「港川人」の居住区としての可能性も高く
今も発掘調査が行われています。 |
浦添城跡
首里城以前の中山王城として知られ
琉球王国初期の王陵「浦添ようどれ」があります。
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天空の城、太陽の門。玉城城跡
アマミキヨが築いた城であるとの伝説もあります。 |

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琉球王国のグスク及び関連遺産群
沖縄にある多くのグスク(城)及び遺跡の中から、5つのグスク(首里城、中城城跡、座喜味城跡、勝連城跡、今帰仁城跡)と
その関連遺産の4つの遺物(園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽)が第24回世界遺産委員会会議で
2000年(平成12年)に世界遺産登録されました。
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神の島"久高島" |
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世界遺産A 今帰仁城跡(
北山国王の居城)。 |
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仲泊遺跡(なかどまりいせき)
貝塚時代前期から後期に属する貝塚と
首里王政府当時の石畳道路により構成。 |
ランチタイム |
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世界遺産A 座喜味城(「続日本100名城)
築城家として名高い護佐丸が築いた先進的な技術と
見事な曲線が美しい名城。
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嘉手納基地 |
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世界遺産B 勝連城跡 (阿麻和利の居城)。 |

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波上宮(琉球国一之宮) |
世界遺産C 玉陵 |
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世界遺産D 首里城(琉球王国・国王の居城) |
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世界遺産G 園比屋武御嶽石門 |
世界遺産H 識名園(琉球王家最大の別邸)。 |
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